ほど好きでないと出来

自分の行動を選ぶ時、目的と難易度と適性を考える。
自分とはまるで関係ない雲の上のようなことでも、憧れ眺めるだけなら、自分の適性(能力)は関係ない。
自分もやってみる場合は、ある程度、適性(能力)が関係する。
その間に横たわるのが、難易度。
それを柔軟に跳ね退けるのは、熱意、どれぐらい好きか。

あまりにも適性がない場合、いくら好きでも、費用対効果や、能率、効率を考えてみる。
見通しなど、まるで無視、でも良い。
人それぞれの時間の使い方、労力の使い方、お金の使い方、エネルギーの使い方。

そう考えると、危険でハードな「登山」なんて、よほど好きでないと出来ない。
緊張感や達成感は何ものにも代え難いのだろうけれど。
わたしには無理。

わたしは、怠け者なので、何ごとにも、ぬるい。
緩い、温い。
最小限の労力で最大限の効果を期待する。
省エネ。
あまり無茶はしない。無謀な試みにはチャレンジしない。
手堅く行く。
ローリスク、ローリターン。
おそらく、満足の沸点が低いのだろう。
なので、なかなか行動には移らない。
活気がない。
感情の起伏が少ない。 
淡々としている。

人に押されて渋々動く。
しかし、動くからには効率を重視する。
期待が少ない。プラスがあれば、儲けもの。
なんでもいいのだ。
こういうのを覇気がないと言うのだろうか。
だけど、いつもだいたい機嫌は良い。
(でも、怖いものはいっぱいある)

ここまで昨日、書いて、ボツにしようとした。
が、今朝、捨てる前に読み直してみた。
このまま続けて書くことにする。
日が変わると気分も変わる。

す」との結論に達した模様

靴下を裏返しにしたまま履いている人を見ると、、、
私の場合はスルーする。
裏返しのまま、洗濯機に放り込み、裏返しのまま干し、裏返しのままセットしてクロゼットに戻す。
(幼児、子供、ハンデキャップのある人は別)
朝、出勤前で忙しいのにかわいそうかな、と、ちらりと脳をかすめる。
が、なんでわたしが元通りにせにゃいかん、自分が裏返した自分の靴下、自分で元に戻せば良い、と考えるMedilase 脫毛
気がつかずに、か、時間がなくて、か、裏返しのまま履いていたら、壇蜜みたいな人な助けられるかも知れない。
が、わたしが今後、将来、国連総長に就任する確率ぐらいかと思う。

ちなみに娘は、娘婿の靴下は裏返しのままで元に戻すらしい。
(夫婦分担制。洗濯、掃除は娘。食事作りは娘婿)
娘と娘婿と、最初、脱いだ後、裏返しのままの娘婿の靴下の処置について二人で話し合った結果、娘婿が、「裏返したままで結構です。僕が履くときに表にします」との結論に達した模様。

「どうにかしてあげなくては」は、母性本能をくすぐられ、精神的バックアップなのか、肉体、あるいは頭脳を駆使して労務することなのか。

わたしは、どうやら母性本能は、ゼロのようだ。
かわりに、人間愛には満ち溢れ、ちょっとしたことでも涙する。
涙ポロポロ、感涙パターン。
元々、ダメンズは嫌い脫毛優惠
搾取されるのは嫌だ。
男性に意味なく尽くす、いや、尽くすことが喜び、という路線ではなく、男性に尽くされるほうが断然好きである。

靴下を裏返しにして履いている男性がいると、近寄らないだろう。
逆に、わたしが裏返しに履いていたとして、「あなたの靴下、裏返しですよ」とご親切に言ってくれる人がいたなら、もっと近寄らない。
恥をかかせるような、他人へ指摘はよくない。
デリカシーがない人も嫌い。
(注意してくれる人を逆恨みするのか??
でも、無神経はかえって人を傷つけることがある)

わたしの年齢で、靴下を裏返しに履いていたら、誰がどう見ても、ぼけにしか見えない。
靴下レベルなら、見て見ぬフリをするのが思いやりだと思う。

家を出る間際に、自分の靴下の片方がどこかに行った、と大騒ぎしているわたしには、人の靴下まで気が回らない。
ましてや、人へのフォローなどとんでもない倫敦 樓盤
行方不明になった片方の靴下を一緒に探してくれるような、そんなフォローをしてほしい側である。

自分のことで精一杯。
優秀なヘルパーさんしか相手にしてくれないことだろう。

補足、追加。
身の回りの世話は焼きたくないが、自分にしかできない内容のフォローで相手を喜ばせることはしたい。
ただし、自ら喜んで自主的にしたいと思う場合。
強制されたら嫌。
ああ、なんて、自己中。
やはり優秀ヘルパーさんしか相手にしてくれない、、、に違いない。

そんな風には出来ないものか

口に出す前に、言うべきか、言わないべきか、一旦考えて、検疫通過、映倫通過になれば、口に出してもオッケー、というわけにはいかないのか前列腺組織活檢
言い方を熟考して、相手が衝撃を受けたり嫌な気にならないように、優しく説くとか、誘導するとか、そんな風には出来ないものか?
それは、相手に望みすぎだろうか?

コミュニケーションの難しさを痛感する。
思うな!って、ほんとに、難しいし、無理なこと。
思わせないようにしようにも、自分は自分で今まで生きてきた道があるから、そう簡単には変えられない。
お互い、自分を貫き通そうとすると意地の張り合いになり、やがて破綻する。
折り合いをつけ、折衷案で妥協しなければならない。
でもいつもわたしは、負ける。譲歩させられる。
誰とでも負ける。

逆の発想をすれば、わたしに勝つ人としか、わたしと付き合わないということだろうか。
わたしは、勝てる気持ち良さを相手に与え続けているということ。
わたしは負ける悔しさや悲しさと常に対峙しなければならない毛孔粗大原因
わたしはいつも負ける体勢が定位置か。
剛柔、強弱みたいに、正反対の組み合わせなのか。
わたしの持つ弱々しい性格ゆえか。
(そう吐露すると、大爆笑されることもある。Why?)

仮にわたしが勝つような相手だと、わたしは不甲斐ないと感じたり、それはそれで不足、不満が出るに違いない。
勝っても負けても、結局、満足しないという、収まりどころか。

わたしの相手は、強い人には平身低頭なくせに、わたしを相手にすると、偉そうにする。
相手を見て自分を出す。
人はみんなそんなものだが、極端な例や、いかにも感じ悪いのは、良くない。

わたしはどちらかというと、誰にも強く出ない。出られない。
だから負けるのだが、負けてばかりでは悲しすぎるから、作戦、策略を練る。
長期戦で巻き返しを図る。復讐の鬼となる磁力共振收費

長所と短所は表裏一体。
柔和に見えても、やられたら、やり返す。
ただし、基本的にはケンカはしない。
不戦勝。
(他人の場合は)全速力で立ち去るのみ。

立ち去らずに、傷ついて泣いているということは、まだ未練があるということ。
どうにか改善したいと願っているということ。
相手も謝ってきたし(ただし、どこが悪いのかさっぱりわからないようだが。それって、けっこう深刻なんだけど)
頑張ってみるか。そう思っている。

の世界を楽しみにお取り

夫がキレた。
何にキレたのか、ここに書くのも馬鹿馬鹿しい理由でキレた。
アタマが壊れた。
老化が原因か?
キレる老人そのもの。

やっぱり理由を書こう。
夫が好きなTV番組の感想を「姉がこう言っていた」とわたしが言った。
それは世の中で発信されている論評とピタリ重なる急救課程
なので、わたしが特別変わりモノで、ひね曲がった歪曲した持論を持ち、自分を正当化しているわけではない。
文字数にして18文字ぐらい?(パワハラモラハラ、セクハラ、ワンパターン)
時間にして30秒もない?
すると、突然、キレた。
ドッス〜ン!!と、重い大きな音がした。
モノを投げつけた。
わたしは、何が起きたのか、わからなかった。

「オレの好きな番組に、なぜそんな嫌なことを言うんだ!!」

夫は、そのTV番組が好き過ぎて、否定されると自分を否定された気になるようだ。

誰がアナタのことだと言った???
しかも、番組を否定したわけではない。

一種の宗教である。
しかも世の中ではこう言ってるよ、という意見すら受け入れない、受け付けない。
時代錯誤の封建時代ドラマなので、現代とのあり得ないギャップを誇張してあるところが漫画より更に面白く、視聴者は楽しんで見ていると思う。
わたしは、そこまでは言っていない。
他の封建時代のドラマや歴史小説を読んでも人権が軽んじられているが、当時としてはあれがスタンダード。
絶対的権力の前には民主主義も平等もなにもない。
それが封建時代電機工程

それにしても、言いたいことも暴力で封じ込める夫婦なのか。
わたしは絶望感に襲われた。
1番最初にアタマをよぎったのは「離婚」の2文字。
しかし、夫の実家に置いているわたしの荷物や、わたしの実家から運び込んでいる大型家具など、どうすればいい?
さらに、人生終盤の晩年、夫の実家の古いモノを調査、研究、時代考証したり、できれば記録しようと老後の最終趣味の世界を楽しみにお取り置きしているのに、それが無くなる。
あと、台風や大雨の時、一人では怖い。不安だ。
さらに、わたしは社会的弱者なので、離婚してもデメリットしかない。
とかなんとか、、、離婚は選択肢から外す方が良い理由が次から次へと出てきた。

離婚は却下。
離婚の次に思いついた対策。
それは秘密。書かない。
書いて言霊が宿り、そのようにコトが進むと、自責の念に駆られそうで良くない。

3番目に思いついた対策は、、、。
具体策はない。
が、次の日から、夫が脱いだまま床に放置しているホームウエア半パンを通り過ぎる度に、足で上から踏みつけた存貨管理系統
何度か通ったので、何度も踏んだ。
だいたい、そもそも床に脱ぎ散らかすこと自体が悪い。
夫の母親が、夫に対して、自分の身の回りのことを自分でする「暮らしの自立」の躾をして来なかった。
引き続きわたしも躾をし損ねたことに自省、自責の念を強く持っていて、常に自分を責めている。
にも関わらず、悪意を込めて復讐心たっぷりに踏みつけた。
意外と効き目はあった。
このヤロー、バカやろー、と。
ボコボコにやっつけた気分。

わほわした柔らかい甘

わたしが高校を卒業した春の18歳、番茶も出花の頃(はい、昭和です)、新学期までの間、1ヶ月だけアルバイトをした。
勤務は、神戸の某有名菓子メーカー直営レストランだった冷凍溶脂效果
その1ヶ月間しか顔を合わせなかった、後、半世紀近く一度も会ったことがない人々、、、なのに、今でも顔をしっかり覚えている。
提供されるメニューのスパゲッティ?ペスカトーレのガーリックの匂いや、ストロベリーパンケーキのほわほわした柔らかい甘い匂いも、昨日のごとく。

ホールで料理担当の口髭をはやした30歳??ぐらいの笑顔が親しみを感じる、味のあるお兄さん。
白調理服上下に、白長靴。
ウェイトレス、重鎮ボスとしては、真っ白い(と思えるほどの)ファンデーションに真っ赤な口紅で彩られた毒々しい唇の、都会の垢でスレて荒んだ、いかにも意地悪そうな性格が悪そうなひね曲がってそうな(形容長い)お姉さん。(あくまでも見た目)
ウエイターは、軽々ひょうひょうとした、東南アジア系の顔をした細い若い男子。
その他のウェイトレスは、地味だが、どしっとした重量系、貫禄ある若い女性。
さらに、小柄でキュートな若い女磁力共振中心
もうひとりぐらい、ホールにおじさんがいたかも知れない。が、忘れている。

重鎮ボスには、わたしが4月から通う学校の名前を噛みそうになりながら彼女の口から発するのを何度か聞いた。
休憩時間は、別の場所に休憩所があったと思う。
ご想像の通り、わたしは「大正の姫」と侮蔑を込めて呼ばれていた。
当たっている、うまいこと言う。
が、いじめられた記憶は全くない。鈍いだけかも知れないが。
彼らと話をした記憶も全くない。
共通話題もなくお互い無関心、無関係なのだろう。
今思えば、わたしは浮いていたのだろう。
たった1ヶ月だけのバイトだし、問題が起きてもつまらないし、皆の意識下になかったのだろう。
期待もされず邪魔にもならず、いてもいなくてもよく、流れて来る石の一つだったのかと。(石って、流れる?)

お客さんでは、後のボーイフレンドになる男子が彼の友達と通って来ていた。
その友達と、どうしたらわたしに声をかけられるのか、相談していたらしい。
友達も後のボーイフレンドもわたしも、同じ歳だった。
このボーイフレンドは、背も高くカッコよくオシャレで頭も良かった。シティボーイ。
降って湧いたような恋バナ。
今も顔、はっきり覚えている。
懐かしい話HIFU

取っておいている趣味があ

わたしの趣味はインドアがほとんど。
いずれ動けなくなったら、外出出来なくなったら、その時に家の中で楽しもう、と、あえて取っておいている趣味がある。
それは、映画館での映画鑑賞thermage 效果
今では新作でも半年もしない間にネット配信される。
自宅でパジャマのまま寝ながらでも鑑賞できる。
が、映画館にわざわざ足を運ぶのは、出不精のわたしに、自分でハッパをかけている。
わたしは出かけるのが億劫。
だが、出かけると都会ではいろんな人がいて刺激になる。
(最新の大都会は尚更、技術の発展に目を見張り、街が動く)
とは言うものの、わたしの楽しみはもう日頃の近辺の都会にはないなあと、しみじみ思ったりする。
都会に求めるものがない。
出会いやキラキラ、そんな人工的なものより、落ち着きや、安らぎ、親しみ、自然のほうが良い。
都会にいる年配の方々を見ても、なんだか場にしっくり合っていないように感じる。
(シニアでも働いている人は別として)
自分の居場所に、都会は適していないと感じる。
若い頃は憧れたが、また原点に戻る傾向か水原共生

ではあるが、出不精で引きこもっているのも心身に良くない。
かといって、自主的にウォーキングするには熱意が足りない。
コロナ時は、全くどこにも出られず、何も出来なかったので、内から押し出されるようにウォーキングしたけれど。

というわけで、自宅映画は、弱った時のためにお取り置きしている。
読書は、最低限しかしない。(ほぼしない)
ここのところ急に理解力がかなり衰えているのを実感する。
好奇心も弱くなっている。
自然減か。

そのほかに、あと、弱った時用のお取り置き楽しみとして、縫い物がある。
チクチク手縫い。
ごく近所に洋裁教室があり、いずれ顔を出してみようと思っている。
先生はわたしより年上のよう。
はやく行かないと、先生が引退してしまう。
社交ダンスも40代の時、歳を取った時の趣味としていずれ始めようと思っていたが、なかなか重い腰が上がらず、結局、動き出したのは、49歳の時。40代ギリギリである。
そういう前例もあり、いずれ次の段階のために、し始めようと準備したいのは山々だが、気持ちだけ充満して、なかなか動かないのがわたし聖誕佈置

もっと歳を取ると、麻雀とかは出来るので、そういうのはしてもよいと、薄っすら考える。
夫も麻雀は打てるので、いずれ我々が更に高齢になれば我々より若い誰かに接待麻雀をしてもらおう。
だが、孫たちに教えるのは無理。
彼らの親たちも麻雀経験が無いし。

もっと気が落ち込むに

久しぶりに休日を体感したが、、、
次の瞬間に訪れたものは、、、退屈。
ヒマだ。
手持ち無沙汰だ。
何もする気がないexpress entry 加拿大。 
しーーん、、、

しかたないから、製本された紙の日記を溜めたここ1週間分書き、買い物したレシート金額を転記し、、、ゆるゆる、するする、渋々、指を動かす。
全く退屈である。こころ踊らない。
大きなイベントからまだ1週間しか経っていない。
そして、トラブル解決も、どんどん深刻な悪い方向に進んでいる。
というか、何の進展もなく、時間だけが過ぎて煮詰まりつつある。
後に来るのは、嫌?な作業。
誰もしたくないような裏作業。

週が明けるまで、とりあえず放置する。
ゆっくり待つわけではなく。
ほっとく。
世の中には、憂鬱な案件を抱えている人も多いだろう。
嫌な気持ちだろうChartered Engineer
わたしは被害者なのだが、加害者は人に迷惑をかけていて、解決に向かっていない状況に、もっと気が落ち込むに違いない。
良い展開の希望は砕かれた。
あとは、いかにダメージを最小にして終わらせるか。
気が重い。
楽しいことをブログに書きたいのに、頭の上に未解決トラブルが、ずしーんと乗っかっている。

何もする気にならないため、何もせずにスマホばかり触っていると、肩が凝る。
ブログ村は、またまたアップした新記事とマイページがリンクされていない。
時々こういう事態になる。
コンピュータもくたびれるようだ。
gooさんとうまく行ってないのか。
また忘れた頃に、2つ同時にマイページに新記事がアップされることだろう。
どこが不具合なのか。
もし仕事だったら、イライラするだろうけれど、所詮お遊びなので、声を大にせず、大人しく消極的に、諦めて復旧を待つとしよう中學