引き出しは開けたら閉めろだ

わたしの夫は実に可哀想である。
仕事を頑張り、さあオフタイム!!と、くつろぎ時間なのに窮屈な思いをさせられる。

やれ、使わない部屋の電気は使わないなら消せだの、モノを使ったら元に戻せだの、TVを大音量にするな、引き出しは開けたら閉めろだの、言われるPet CT scan

だが、服は脱ぎっぱなし、荷物は放置しっぱなし、ゴミは分別はしないで出しっ放しほったらかし、、、は、何も言われず放任、自由。

書いていて、なんだか3番目孫(5歳)が母親に怒られているところを連想した。
1番目、2番目はもう小学生なので、そんな注意は卒業している。
が、未だに時々食事マナーを厳しく躾けられている。

そう考えると、夫の私生活は未就学児レベルということになる。
教育を怠った、わたしに責任があるのか。
私生活は未就学児レベルだが、人に危害を加えたり犯罪には手を染めない。
人としての道徳心、常識はある。
それに、ギャンブルをしないから良い。
わたしはギャンブル?アレルギーだ。

と、かばっているのか、けなしているのか、わからない説明になった。

それはそれとして。
TV大好き夫ではあるが、ある意味、TV中毒である。
ではあるものの、(個人的には)ギャンブルよりマシ。(何度も言うようだが)
わたしの身近にこういう人はいないが、
家に不在なのは良いが、いつもギャンブル場に通い詰め、タバコの煙が染み付いた、独特のニオイを発する灰色の服を着た人、、、
ああいった空気感は著しく苦手で敬遠する。
まさにわたしとは水と油の感覚であるv line 脫毛

そう思うとTV中毒など、かわいいものである。
電気代しか要らないし。
それに、垂れ流しTVは思考力を奪うので、禅のようなもの。
無になれる。脳を休ませるにはもってこい。
労働の再生産に向けて、心身をリフレッシュしている。
それはアタマではわたしは理解している。
他人のリフレッシュ行動に制限を加えるのはどうかと思う、、、

、、、のではあるが、、、。
わたしは、同じ空間にいる。
しかもずっと共有の家。
わたしのリフレッシュ方法と相反し真逆で、わたしのストレスとなる。
理解ばかりしていたら、わたしが潰れる。
夫の明日の再生産のために、わたしの再生産が出来ない。

ま、そこは、お互い、譲り合って、明るい未来へ、だ、
(急に文章を段落ごと端折った感あり牙科專科醫生
もう書くのがめんどくさくなっている。
不毛感あり)

ということで、協力して楽しく暮らしましょう。(無理矢理、結論へ)

と、本当はここからが第二部。
だがしかし、、、
胸の中で思っても書かないのが、最近のわたしの快適ブログ生活。
書いたところで自分をおとしめるだけ。
というか、知られたくない。
しっかり自分の胸に収める。
だから、カラシやワサビを効かさない、サビ抜き回転寿司になっている。
美味しくない。
が、害もない。

芸術を爆発させる元を作っ

とあるブログを、初めて読んだ。
素晴らしく文章がキリリと冴え渡っていた。
思考回路、目線にしびれた。
それよりも、なによりも、表現の仕方よりも、中身。
お料理も見かけも大事だが味。人間も然り绿色债券
その中の、「雀のお宿」の、本当は怖いグリム童話?日本昔話版を読んで、無性に書きたくなった。

本妻と妾。
妻妾同居は、かつて、国の福祉政策代わりに、おカネのある人がやっていた。
国家のおカネを歳出するのではなく、個人のおカネで救済していたと見る。
まあ、それはよいとしよう。(よくないが)

女性が夫と男妾と同居している例は、あまりない。
文豪同士で、元女房をやりとり、交換していた例はあるようだが。
芸術家の岡本太郎のお母さんも、あっちへ行ったり、こっちへ来たりして、芸術を爆発させる元を作っていたのか?
一人の女性に複数の男性。重複?同時進行型。

まあ、それはよいとしよう。(人は人)

愛を勝ち取るための、冷静な戦略。
これは、すごい。
愛でなくても、国盗り物語風の、国家戦略とか、逆に、国を牛耳るための策略とか、
自分の思いを遂げようとすると、情熱だけではなく、知恵と理性と策略と実践力がいる。
強力な優秀ブレーンがいると五重マル。

一時の嫉妬や激情に振り回され、理性を失うのではなく、じっくり自分のもとに夫が帰ってくるような冷静な判断ができる思慮の深さこそ、
これがホンモノの愛だ!!なんてことになるのだろうけれど黃金簽證
わたしは、策略を練る余裕のある(男女の)愛なんて、クビをかしげる
愛は常に狂気を伴うものだと思っているからだ。
冷静な慈愛に満ちた愛は、男女間の愛には、ちょっと違和感を感じる。
恋のライバルを蹴落とす方法を、刃を研いで練る、というのも、わからないでもないが。
策略を練るシーンとしては、わら人形系がぴったり、しっくりする。

まあ、それはよいとしよう。

自分のもとに戻ってくるための、緻密な計画を練り、冷静沈着な人って、怖くないか?
善人なのか?
(確かにヨミは鋭いが)
しかも、良い人、素晴らしい人、よく耐えた人、という絶賛評価つき。
狂って、はちゃめちゃしている人のほうが、人間らしくてかわいいような気もする。

物語は、たいがい、「頑張った人にご褒美」というコースが用意されている。
そのほうが、読む人が安心するからだろう。
自分が辛い立場にあっても、地道に努力を続けていると、神様が見てくれている、と思いたい。
うまいことやった、要領の良い人が、のうのうと幸せをつかむストーリーは、不公平で腹が立つに違いない租會議室尖沙咀

なので、気の毒だった人が、頑張って、乗り越えて幸せになる筋書きに、人は惹かれるようだ。
意地悪人間が、はじめは勝っていても最後は、負ける、そういうのが好きらしい。
水戸黄門さま的勧善懲悪が、日本人は、毎日の安心ご飯か。

まあ、それはよいとしよう。

転に全てを委ねる格好

しかしながら、、、
つくづく思った。
今回は車で遠距離移動ジャーニーになったせいもあり、夫の運転に全てを委ねる格好になった。
夫はわたしとは正反対で、運動神経抜群で頭脳も超優秀、タフで体力もある轉奶粉肚痾
日頃のオフ状態で、夫のオン機能をまるで忘れ切っていた。
しかもドケチしみったれのわたしとはこれまた正反対で、財布には口がない。
ゆるゆるとか、そういうレベルではない。
お金に執着する概念そのものがない。
この夫が仮に、再婚するかも知れない候補者だとすると、絶対に推し!間違いない。
今、交際している人だという新たな切り口でこの人物を見たら、素晴らしいハイスペックだった。
しかも優しい。
これは結婚以来ずっと同じ。
ただ、ほぼほぼオフの状態でしか接していないので、接する面がまるで違っていた。
全く動かない、家事など絶対にしない、ほぼほぼ粗大ゴミ状態のオフと、本来の備わっている機能をフル回転させた時は、別人である。
たまには、別人の面に接しないと忘れるBB無便便

小さな小さな閉ざされた家庭の中では偉そうにしているわたしだが、身体能力、頭脳として機能性は至って低い。
ほぼ全般的に人間の機能としての能力停止状態に陥っているのは、家の外では夫がなんでもかんでもしてくれるからである。
責任転嫁どころか、感謝しなければならない。
気が回る、頭が回る、身体が動く、能力がある夫が、元々真逆のわたしを益々機能低下させている。
わたしはアタマも身体も神経も使わないから、どんどん何もしなくなり、できなくなっている。
退化の一途を辿っている。

趣味分野で出会う人々にビシバシきつい厳しいことを言われるが、当たり前のことを皆さんは言っている。
しかも、能力的には夫はかなり高性能である。脳の出来が違うように思う。
夫は普通のそこらへんの人とは違うなあと今更ながら再認識した。
わたしが何でも許されて何でもしてもらって甘やかされているだけだ。
出来なくて当たり前の人物評価去暗瘡印方法
(諦められサジを投げられているのだろう)
(出来るくせにしないのは、一番タチが悪く嫌われ、サボり認定を受ける)
そこに厳しい娘に指摘、指導され、わたしは涙がぽろりん出るが、涙を流している場合ではない。
世の中の普通の感覚を呼び戻させ覚醒させてくれている。

け取り方や使い方がわか

働きたくないとストライキを起こす脳と、働け!という脳が格闘し、だいたいマイナポイントの受け取り方や使い方がわかった。
問題は、わたしはその指定の出口(決済)で、たいしてお金を使わないことだ乳房磁力共振
近所のパン屋さんでは1週間に300円ぐらいしか使わない。
全く使わない週もある。
だとすると、1か月1200円、1年で14400円。
付与分20000ポイント使おうと思うと、1年半かかる。
しかも、そのパン屋さん以外の店舗で買いたい場合は、付与ポイントを使い切る期日を迎えるのが更に先延ばしになる。
何年も何年もかかるわけだ。
先に自分で現金でチャージしなければならないかんじだし。
コンビニでチャージできるようだが、なんだかなあ、、、。
チャージも面倒、使うのもあまり予定がない、そんな電子ポイント、、、

銀行や金融機関を経由してワールドプレゼントポイントに換えるというのもあるようだが。
これまた、またワールドポイントか、、、と食傷気味牙痛原因
現金ではなく、何かに支払うマネーとなっている。
使わなければ、なんの意味もない電子マネー
モノ、コト、サービス、運賃、交通費、などなど。
唯一、支払いではない使い方をしたければ、人に電子マネーをギフトとしてプレゼントするぐらいか?
人件費として使いたい。
昭和人間は、なんだか疲れる。
気長に近所のパン屋さんに通い、コツコツ使うしかないのか。
(貯めるのではなく使うのが、人生計画、生い先短いパターン)
PayPayのQRコードが目に入ると、旅先のお土産物屋さんなどでもサプライズ的に使えることがある。
スーパーの一角のソフトクリーム屋さんで使えたりもする。
処方された薬を受け取る院外薬局で使えることもある。
もともとPayPayは、わたしはクレジット決済にしているのではあるが、チャージ式ではなく使わなければ減らないというものではない。
他の支払いは別のクレジットを優先しているため、PayPayの出番はかなり少ない。
楽天Edyを選択することも出来たが、申請当時はPayPayのほうがまだ身近だったこともあり、PayPayにした。
のではあるが、まだ半年も経っていないのだが、申請時点から行動パターンが変わったのでPayPayの出番がなくなった。

とかなんとか、、、そういうわけで、
国の恩恵を受ける実感はあまりない。
地域商品券(紙)のほうがまだわかりやすい助聽器購買

マイナンバーカードを作っていない人、マイナポイントに興味のない方、、、
その方々にとっては、全くどうでもよい面白くない、なんの興味もない話題が延々と続いたわけだが、、、
別の話題はまた、別記事で。

面下に根を張っているかも

さて。
フランス人気質と日本人気質について。
裕さんのブログ記事を読んで、彼の考察や思考がキーンと晴れ晴れ脳内に響き渡った。
そうだろう、そうだろう、フランス人の個人主義は昨日今日に始まったものではない。
「他者を思い遣る」というフランス語はあるのかないのか知らないが言語治療

列強の国々が陸続きでつながる、広い大陸の中に位置する国と、周りを海に囲まれた島国。
地理的にも歴史的にも、違いは歴然。
日本は島国。
なので、移民や通りすがりの人は(旅人はさておき)ほとんどいないし、
同じ言語(日本語)を話し、先住民を含め民族的にも、ほぼ一種類に絞られているし、
鎖国時代が長かったし。
そして、閉鎖的なムラ社会
あ、うんの呼吸。
目の動きや表情などで、人の思いを汲み取る。

かたや、フランスは、いつ、誰が攻めてくるかもわからない、逃げる時間のない地理条件。
覇者交代によるリスク回避のため、全財産を宝石に換えて持って逃げる準備をしなければならない時代もあったbb轉奶粉
狩をする人種、肉食系と、魚や野菜を食べる草食系、農耕民族。
近年は、ライフスタイルも変わり、特徴も大きく変化しているが、長い歴史の積み重ねで培われたものは水面下に根を張っているかも知れない。

木と紙で作られた家に住み、大声も出さないベジタリアン
西洋人から見ると、真逆。
日本人は、一つの方向を見るとパワーが凝縮、集結する傾向にあるようなので(横並び志向)、良い方に行けば良いけれど、悪い方に行くとコワイ、、、それは歴史が物語っている。

今は、過去の反省から、スパルタ軍隊式は非難され、ゆとり教育の影響や、インターネットでの幅広い価値観に触れることで、過去の価値観は変わりつつある。
が、相変わらず個性を尊重しない教育。
職場では厳しい昔風を美学にすると、ブラック企業が横行するからやめてほしいと言われたことがある。
今の若者は軟弱だ、昔は、これこれこうで、、、などと昔話を引き合いに出して時代遅れの価値観を押し付けると確実に嫌われる。

しかしながら、こんな優しい軟弱な国民性で、今後、大丈夫なのかと心配する。
過去の栄光、衰退途上国?

ちなみに、話は脱線するが、
大政奉還から明治維新、あんなに激変、大転換、体制の変わり方はあっぱれだと、わたしは思う。
内乱を伴うといっても早めにケリは付き収まった。
それに比べてフランス革命はスゴイ。
王サマ、王妃サマ、貴族、みんな処刑。
わたしの好きなマリーアントワネットは正に悲劇のヒロイン。
あそこまでする?という激動の時代。
ではあるが、軍人や王族だけではく、一般国民の命が大量に奪われた戦争に関しては、安易な言葉などでは語れない洗牙 價錢

勝手にビッと最短で動い

gooさんのユーザーサービスで「アピールチャンス!」という機能がある。
gooユーザーにランダムに回ってくるのだが、回ってくるや否や考える間もなく、指が勝手にビッと最短で動いてアピールする。
しかも、昨日もアピールチャンスが来たので、昨日アップした記事をオススメ記事にしたばかり。
今日は、今から取り掛かる前のぐだぐだタイムだったhifu 療程
で、一昨日も性懲りなくその日アップした記事をアピールチャンスに登録した。
なので、先程、指が勝手に登録した記事は、1度ならず2度目ということになる。
使い回し感あり。新鮮味のない使い古し。
指が勝手に動くから仕方ない。
しかし、指の暴走を脳は止められるのだが、わざと見過ごす振りをして、確信犯。
ではあるが、自分を自己擁護するために言うと、アピールチャンスが巡ってきても、アピールしない時もある!
て、なんだかムキになって言っているところが、うら哀しい。

と、指の準備運動はこれぐらいにして。

さて、今日は日曜日。
曜日感覚がなくなって久しい。
いつもならとっくに始動し、出かける直前。
付けまつげ、しっかり付けた後、、、ぐらいの時間なのだが。
コロコロコロナで、付けまつげともしばらくサヨウナラしている。

そもそも、付けまつげとは?
わたしにとっては、武装のひとつ。
相撲取りが土俵に上がって、自分の顔や身体を思いっきりピシバシ叩くように、わたしは気合いを入れている。
気合いが、なんで付けまつげ?となるが、気が弱い人が、真っ黒のサングラスをかけるようなもの皮秒去斑
(サングラスにスキンヘッドの、その筋の凄く怖いオーラを放つ顔見知り男性がいたが、サングラスを取ると、すごくかわいいチャーミングなパチクリお目々だった、、、)
あるいは、ヤクザ映画を見た後、映画館から出る男性は肩をゆっさゆっさ前後交互に揺らし、ガニ股で、ヤクザになった気分になるらしい。
高倉健とかに自分がなったように感情移入するそうな。
(昭和真ん中世代のわたしには、ニヤミス世代?
わたしはヤクザ映画は見ない。
暴力系は嫌い)
あれと少し似ている?
要は、外見を武装して、自分を奮い立たせるのだ。

だが、付けまつげは本人が思っているほどの効果はなく、スマホ動画で見ると、全く代り映えしない、ブサイクな顔。
そこで、しゅんと青菜に塩になるかといえば、そうではない。
写真や動画など見ない、撮らない。
臭いものには蓋、しかも、きっちり蓋をする。
誰かが何か言っていたとしても、聞こえないフリ。
そして自分に都合が良いように無理やり解釈する。

わたしは女装の趣味があるのか?
いえ、戸籍も身体も一応女性です。
付けまつげ心理を分析、解析すると、男性の女装趣味が理解できる手助けになる。
誰にでもある、変身願望美白嫩膚
性をまたぐこともある(バイアス、トランスジェンダー)し、人格が変わることもある。
メイクや装具だけでなく、車に乗るとやたら凶暴になったりする人もいる。
抑圧されたものが解かれるのだろう。

れは生まれつきのようだ

この頃、思うのだが、心身共に健康に産み育ててくれた両親に感謝している。
唐突な話ではあるが。
あまり悲観的でもない、楽天的な性格と、病気知らずの健康な身体、これは生まれつきのようだ醫美

子供時代は学校でイジメに遭っていた兄、姉の下で、ちゃっかり目立たない方法を自然に身に付けたように思う。
学年が上がるにつれ、成績面では、優秀だった兄、姉を先生が引き合いに出し、「それに比べてキミは、、、」と説教の種にされ、劣等感に苛まれても不思議ではない状況だったにもかかわらず、全然といってよいほど、めげていなかった。
たぶん、当時、家庭が大嫌いだったので、外の生活が少々悲惨でも、家のことと比べると、マシだったからかも知れない。
というか、子供の頃から先生など信じていなかった。

何かにつけ、結構、激しい家庭だったように思う。
わたしの価値観は、「悩み事や嫌な事があったとしても『人の生き死に』にまでは及ばない」というものだった。
子供の時からそう思っていた。
死ぬほど辛い、というのは精神的な比喩表現で、どんなに辛くても、実際に死んでしまうことはない、と。
生きるか死ぬか、そういうギリギリの線まで来ていない、切迫していない、と感じていた。
友人が、「ママに叱られた?」とヒステリックに泣き叫ぶ姿を見て、何が悲しいのか、まったく、さっぱり、まるでわからなかった。
蚊に刺される程度なんじゃない?と水原共生
まだ社会に出ていない子供であるわたしにとっては、家庭でのたいした虐待もなかったし、死に至るほどのことは実感出来なかった。

が、今の世の中の子供達を取り巻く環境や意識とは隔世の感がある。
わたしは時代背景も今とは違うし、苦労知らずなのかも知れないが、それなりに気苦労はあった。
生きるか死ぬかが判断基準の子供って、ある意味、度胸が据わっている。
というよりも、もっと、ちゃんちゃん敏速に機敏に動くべきだろう、子供は子供らしく。

話はコロッと変わるが、、、
昭和39年?40年に「小説現代」に連載され、今から半世紀も前に刊行された小説を今、読んでいる。
黒岩重吾。(1924?2003)
主人公や登場人物に対する感情移入がまるで出来ない。
当たり前だ。
環境が違いすぎる。
時代が違いすぎる。
感覚が違いすぎる。
性別の違いによる感じ方のギャップ。
読者ターゲットの違いpico 去斑

女性の考え方は、ああいうものではないと思う。
至極当然だ。
そんなにも昔の男性の書いた小説だから。
第一、わたしの父親世代。そう年齢は変わらない。
戦争出征経験者。
高度成長期の落とし子世代のわたしと感覚が違わないほうがおかしい。