なるならいざ知らず

わたしのように、ただただひたすら何十年も同じことをし、同じ位置に留まっていない。
よく姑が言っていた。
十年一日のごとく」と永久脫毛
彼女は代わり映えしない同じことを繰り返し行なっている自分に、自嘲の気持ちも込めて、そう口にしていた。
わたしも同じである。

若い頃から激流や急流を泳いで、やがて丸く角が取れる河原の石になるならいざ知らず、わたしは最初から最後まで河原の石。
動かないし、最初から丸い。
とんがった角自体がない。
なので、同じところに居続ける。
ひょっとして、見える丸い石の部分は氷山の一角で、その下に地球の裏側にも伸びる巨大な地下洞窟があるのかも?
いや、、、ない。

しかし、自己弁護するようだが、同じ位置に居続けるのにもエネルギーが必要だ。
それと、僅かではあるが、努力も產後修身
何もしなくて、いつも同じ位置に居続けることは無理だと思う。

老化は食い止められないにしても、その減少に替わる新しい何かを補充しなければ、下降の一途になる。
下降を直視して受け止めるというのも、それはそれでエネルギーが消耗する。
少しずつ、省エネ傾向になり、ランニングコストを抑えるのも対策の一つだ。
若い人なら、時期が来たらチャージしていたエネルギーを一気に爆発させ新たな展開を迎えることだろう。
ステップアップ、拡大に向けて。
若くない人なら、それなりのカーブに応じての維持、縮小への軟着陸に向けて。
拡大、縮小ではない、質の変化という展開もある。

エネルギッシュな人たちが、去っていくのは寂しいが、新たな門出が待っていることだろう。
卒業をお祝いしなければならない。


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