自宅はすっき

蔵に自分のお気に入りの大切なモノをお取り置きしよう、、、なんて書いているが、実際は、お気に入りのモノを蔵から持ち出し自宅に運び込んでいる。
これまた終活とは逆の動き導師課程
ある時点で運び込み(IN)と、運び出し(OUT)が交差して、徐々に運び出しが運び込みを上回り、そのうち、運び出しと、断捨離だけになり、さらに、自宅はすっきり空間へ、、、というプランを思い描こう。

ちなみに、それはそうと、、、
今、わたしは自主的ではない自宅待機状態である。
好きで自宅引きこもりは楽しいが、自粛軟禁となり、息苦しい。
やっていることは同じなのに、気持ちの持ちようで全く変わる。
選択肢があるかないかで、雲泥の差である。
「何もしない」のも、「何もしたくない」のか、「何もしてはいけない」のか「何も出来ない」のかで、まるで違うCEF 課程

話は変わるが、、、
自宅の警備保障の機器を取り替える時期になった。
警備会社から提案書、見積もりが出されて、にらめっこしている。
警備、縮小するのも、やめるのも一案。
警備機器のメンテナンス保障期間が20年で切れるため、新たにリニューアルすることになっているのだが、この先20年を考えると、、、
警備、必要なのか?
老いてからのほうが、より必要なのか?
縮小するか、他社と比較検討するか、、、ただ今、思案中。
他にもリフォーム定期点検のお知らせが届いている。
ああ、めんどくさい。

なんでも、めんどくさくなると、黄色信号だ。
何にもしたくない、ということだ。
何もしないで、どうやって日々過ごす?
晴れの日は散歩?
いや、別に散歩はしない紐西蘭大學
ドライブと同じで、ドライブそのものが好きなわけではなく、目的地への往復の道中が、散歩だったりドライブだったり、電車移動だったりする。
目的がない、というか、散歩そのものを目的にするのは、今のわたしには気が乗らない。
(健康維持という目的がある場合は、オッケー)