鼻持ちならないから

わたしの日記は自虐色が入っている。
なぜか。
自虐を抜くと、感じ悪いイヤ?な匂いを放ち、甚だしく鼻持ちならないからだ。
単に運よく幸せに暮らしている三菱冰箱
なので、周りを気にせずキャアキャア無邪気に騒ぐと、間違いなく叩かれる。
だから大人しく静かにしている。
実際のリアル生活には愛が溢れて、幸福が満ち溢れている。
そう書くと、不思議と嘘くさい。
文章というものは、じつに面白い。

小説は事実より奇なり。
あ、違うか。
事実は小説より奇なり、か。
どっちだった?
どちらも背中合わせ。
幸せは、ある日、どんでん返しがある。
世界で実際に起きている、映画より悲惨な現実と向き合う勇気がない。

わたしが今したいことは、何?
コロナ禍はまだまだ収まりそうもない。
が、そろそろ旅に出たいかな、と。
旅の写真は限りなくわたしを癒やしてくれる。
旅の真っ最中に自分の瞼のスクリーンに全力で焼き付けたらよいものを、70%焼き付けて、残りの30%の余力で写真や動画を撮り、画像、映像、データで保存する。
脳は段々弱るから、リスクヘッジ
生では(脳が)処理しきれない冷凍食品のようなもの。
 
姑も祖母も少し長生きをし過ぎた。
天寿を全うしたが、ちょうどぴったりの長さをちょっとはみ出した抽濕機推介
その点、舅も父も祖父も、よい頃合いでこの世を去った。
good-byの旬というものがある。
姑も祖母も、旬があった。
にもかかわらず、旬を掴みきれなかった。
旬に乗り損ねた。
旬より数年、長く生きた。
そのちょっとはみ出した延長分は、しんどくて悲しいだけの時間だった。
何よりも本人が辛い。
わたしの希望は、自分の生の旬を掴むこと。
理想的な終焉時期に終わること。
しかし、こればっかりはなかなかうまくいきそうもない。
神様が決めること。
人間は(倫理上)操ってはいけないことになっている。
余命は医師が診断してくれても、自分の命日を自分で決められない。
命日を自分で決めるには、今はまだ法律が追いついていない。

明るくない話題の独り言、文字、文章が次々出て来てしまう。
困った性分だ。

ちなみに、近所の人々と井戸端会議するのが好きな人がいるようだ。
自分の生活の近況をペチャクチャ話す。
それがストレス解消となる。
わたしには考えられない。
自己開示こそが、ストレスの元になる。
性質、性格の違いだろう。
わたしはストレスや情熱は、文章にして粗熱を取り、発散する。
と、これはわたしの一方的な嗜好。
駄文の書き散らし、いつもすみません。

またまた脳内から文字群が溢れてきた。
今日はヘンだ、いや、いつもヘンだ。
続きはまた雪櫃唔凍